鎌倉交響楽団第100回定期演奏会プログラムより 2012/10/27(土)

鎌倉交響楽団の50周年と次の100年に向けて
50周年記念事業委員会副委員長  Va水上 清

●はじめに
鎌倉交響楽団は「鎌響」の愛称で多くの皆さまのご支援に支えられながら、今年50周年を迎えました。「文化都市としての本市にふさわしい高度の楽団を結成して¨・」という「1日鎌響」の精神を受け継ぎながら、アマチュアとしてひたむきに音楽と向き合い、週1回の地道な練習を重ねて、演奏会を開催してきました。私は8年目の第15回定期演奏会から参加しましたが、その時の曲目にストラヴィンスキーの「管楽器のためのシンフォニー」を見つけて驚いた記憶があります。選曲や運営を団員の意思で自主的に決めていく基本的な姿勢は、すでにその当時から貫かれ、しかもそれを受け入れながら的確な指導をされる指揮者との絶妙なバランスも現在まで続く鎌響の特色といえます。こうした鎌響の今までを振り返ると共に、これからの100年に思いを馳せて行きたいと思います。
●4年間の「鎌倉交響楽団」
前項で「旧鎌響」という言葉にお気付きと思います。現実は現在の「鎌響」の前に1947年から1951年まで、プロとアマチュア混成による伝説のオーケストラ「鎌倉交響楽団」が活動していました。戦後の混乱期にこの歴史溢れる古都鎌倉を音楽の中心地にしようと情熱に燃えた音楽関係者により1945年暮に鎌倉音楽クラブ(代表野村光―)が結成され、この呼びかけに応じた疎開中のプロの演奏家を中心にアマチュア愛好家も加わり最初の「鎌響」が誕生しました。第1回演奏会は1947年10月5日、当時の師範学校(現横浜国立大学付属小中学校)講堂を会場に、モーツアルトのフルート協奏曲やシユーベルトの「未完成」などが演奏されました。(指揮 橋本国彦、フルート 森正)。活動は年4回の演奏会開催を目標に、市からの補助金も得ながら運営されていましたが、社会の落ち着きと共に、プロの演奏家は活動を徐々に東京に移し、演奏活動は僅か4年足らずの1951年3月に終了しました。短い期間でしたが、1948年には尾高尚忠作曲のフルート協奏曲が自身の指揮、森正のフルート独奏により公開初演されています。
この「旧鎌響」に参加した主な演奏家には、尾高尚忠、前田幸市郎、斎藤秀雄、鈴木聡、平井哲三郎、当時まだ10代だった江藤俊哉、東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)の学生だった矢代秋雄(寡作ながら内外で作品が演奏される日本を代表する作曲家の一人。「鎌倉市歌」は氏の作品)などの諸氏がおられました。
●現「鎌倉交響楽団」の誕生(鎌倉市中央公民館時代)
「旧鎌響」の解散後は、1959年から朝日新聞社が主催する青少年を対象とした「朝日ジユニアオーケストラ鎌倉教室」(室長福井孝―)が誕生し、東清蔵の指導で春秋2回の演奏会が行われましたが、新聞社の方針で4年後の1963年1月には活動を停止しました。これを引き継ぐ形で誕生したのが、市民アマチュア管弦楽団としての現在の鎌響です。設立の発起人には、「旧鎌響」設立にも係わつた野村光―をはじめ、福井孝一、服部甚蔵、鉄能子、山岡寿美子等の諸氏が名を連ねました。設立趣意書には、「文化都市としての本市にふさわしい高度の楽団を結成して…・」という「旧鎌響」の精神を受け継ぎながら、新たな体制でスタートを切つています。その意気込みの強さからか、同年6月15日にはすでに第1回結成記念演奏会を開催しました。演奏会場は鎌倉市中央公民館、といっても今は取り壊されてありませんが、鎌倉市由比ガ浜2丁目の鎌倉女学院のとなりにあった、収容人員700名程度のホールでした。しかも当初は国民体育大会の施設として作られた建物を、大会後に市民の多目的な集まりに使用できるよう改造したもので、演奏会場としては音響効果の悪いホールでした。
設立時のメンバー構成は朝日ジユニアから10数名、第1次鎌響から5名、そのほか鎌倉音楽クラブメンバーに指導を受けていた人たちや、大学オーケストラのOB、音楽好きな市民などが集まったとされています。年齢層はかなり幅が広く、本日のステージをご覧になってもお分かりのとおり、現在の鎌響が持つ特徴がそのまま設立当初からの伝統であることを感じます。
結成記念演奏会は無事に開催したものの、その後も団員はなかなか安定せず週1回の練習には10名も集まらないこともあったと聞いていますが、演奏会が近づくと近隣オーケストラや知人、プ回の演奏家などに応援を得て、年2回の定期演奏会を続けてきました。この間、1970年には現在神奈川フイルハーモニー管弦楽団という県唯―のプロオーケストラの前身となるロリエ管弦楽団が結成され、中核メンバーとして鎌響から技術を持つた団員が参加して行ったこともありました。また、1971年には鎌倉私立幼稚園協会に加盟する幼稚園の園児を対象とした音楽会を依頼され、今日まで続いています。初めて見るフルオーケストラを前に、純粋に音楽と向き合う園児の目の輝きや反応は、演奏の出来を的確に表わし、今日まで私達団員にとって貴重で大切な真剣勝負の場となつています。また演奏を聞いた園児が成長し、その後入団して来るなど嬉しい効果ももたらしています。
1975年頃からは、指導者の熱意と地道な運営努力の上に、2度のオイルショックからの立ち直りや、文化的な余暇を求める社会的風潮も影響して徐々に団員数も増加し、また観客の広がりも見られるようになつて来ました。その1975年からは市教育委員会の依頼で市内小学校体育館を会場に、巡回サマーコンサートが開始されました。夏休み中の土日の夜に2日間、学童やご家族を前に演奏する機会を持つことが出来ました。冷房などない体育館で汗びっしょりになり演奏することから、オリジナル丁シャツを作ったのもこの頃でした。竪琴とKSOを組み合わせたデザイン、猫、そして∃ツトなどの図柄をプリントして作られました。この巡回演奏会は現在行っていませんが、家族みんなで楽しめる音楽会を目標に、1981年からニューイヤーコンサート、そして
2003年からはファミリーコンサート(鎌響のフアミコン)として、定期演奏会と共に大切な演奏活動の柱となって現在まで受け継がれています。
この頃の主な演奏活動としては、1980年日本アマチュアフエスティバルに参加し東京日比谷の日生劇場でブラームスの第4交響曲を演奏、1982年創立20周年第40回定期演奏会では念願の「第九」を演奏し、オーケストラの意気も上がり、実働団員は80名を超えて響きも充実してきました。以降ブルックナーの4番(1986年)やマーラーの1番(1988年)などの大曲もプログラムに登場するようになりました。また、1988年には東京駅北ロドームで開催された「駅コン」に出演し、モーツァルトの「フルートとハープの協奏曲」ほかを演奏するなど、地元での演奏以外の活動も含め大きな盛り上がりを見せています。これらは常任指揮者の前田幸市郎、後任の古谷誠一の各氏が、情熱溢れる充実した練習の積み重ねによつて築き上げてきたものと考えています。
●鎌倉芸術館時代へ(1993年~現在)
鎌倉芸術館の落成により、待望久しかった本格的な音響設備と1500人を収容できるホールでの演奏が可能となり、鎌響も活動の場を移すことになりました。1993年11月柿落としの演奏会は、念願であった「100名の団員で第九を」という目標を、満員のお客様をお迎えして、実現することが出来ました。
広いステージと豊な響きを誇る芸術館で演奏会を行うようになってからは、ニューイヤーコンサートでバレエ団と協演(1998年「くるみ割り人形」)、バレー団の公演に依頼を受けオーケストラピットで演奏(1998年「ライモンダ」ほか)、またストラヴィンスキー「火の鳥」(2000年)、オルフ「カルミナ・ブラーナ」(2007年)、マーラー交響曲第5番(2008年)、そして今回のマーラー交響曲第2番「復活」(2012年)など規模の大きな、また舞台機構を使い変化に富んだ演奏が可能となり、更に演奏に磨きをかけることが出来る環境の中で充実した活動を展開しています。
今回の「復活」演奏に当たっては、当初40周年の時にも演奏希望がありましたが、団員が不足しており、応援を頼んだ演奏はすべきでないという理由で別の曲になりました。50周年ではほぼ全員鎌響団員で演奏が出来る態勢が整いました。是非今の鎌響サウンドをお聞きいただきたいと思います。「第九」の演奏も最近では鎌倉芸術館が主催する「日本語で歌う第九演奏会」に参加させていただき、また1999年を最初に3回姉妹都市萩を訪問し、萩市民の合唱と鎌響が合同演奏を行うなど、活動が益々多様化しています。
鎌倉芸術館に演奏会場を移すに当たり、1500人も収容できるホールを果たして一杯に出来るか不安を抱いていた団員も、毎回椅子を埋め尽くすお客様に感謝の気持ちと、それに応える演奏を真剣に思いながら、今日もステージに向かっています。こうした恵まれた環境の中で演奏できる鎌響の育成に献身的なご尽力をいただいた演奏面では前田幸市郎、高橋誠也、吉水洋、古谷誠一、宮松重紀ほかの諸先生、運営面では創設期からの福井孝一、服部甚蔵、伊澤龍作、日比谷平一郎ほかの諸氏に深く感謝を申し上げます。
●100年に向けて
50年の歩みの中で徐々に作られてきた独特の鎌響サウンドは、いまも20歳から70歳半ばまでの様々な考え方や価値観を持つた人たちが集い、年齢差半世紀の差をものともせず鎌倉という長い歴史の空気を通して豊かに醸成されてきたものであり、この響きを更に充実させてこれからの50年でどのように磨かれていくか、心楽しみに思いながら練習に励んでまいります。また、過去に挑戦して果たせなかった、姉妹都市ニースヘの演奏旅行もこれからの夢としていきたいと思います。
ただ、素晴らしい響きの演奏会場はあるものの、120名を超える団員が毎週練習を重ねていくための広さと防音設備を持った練習場や、現在ワンボックスカーに積んで保管している大型楽器や特殊楽器を、熱や湿気から守り安心して保管できる倉庫がないことなど、さらに充実した活動を行っていくための課題がまだまだ残っています。