第122回定期(10/28)指揮者 和田一樹インタビュー
10月28日(土)に鎌響と2度目の共演として第122回定期演奏会の指揮台に立つ、和田一樹に、昨今の自身の幅広い音楽活動や、今回の鎌響定期のプログラムの魅力についてお話を伺いました。
コロナ禍の危機感をバネに指揮者としてキャリアアップ
Q. 鎌響にはコロナ禍の2020年の第116回定期演奏会以来、3年振りの来演となりますね。前回の来演以降の和田先生の指揮活動について教えてください。
(和田) 前回のステージがもう3年前なんですね。あの頃は、コロナ禍真っ盛りでそもそも舞台音楽自体が存続しうるのか、という不安、危機感を誰もが感じていましたが、そんななかで、演奏会開催までなんとかこぎつけた、思い出深い演奏会でしたね。
その3年前の鎌響来演までの自分は、指揮者としては、プロオケの仕事と鎌響のようなアマオケへの来演がちょうど半分ずつくらいだったかと思いますが、鎌響への初来演の直後くらいから、プロオケのお仕事を多くいただくようになりました。
あのあと相次いで東京都響、新日本フィル、東京フィルなどの在京のメジャープロオケで初めて指揮する機会をいただきました。コロナ禍で、海外の有名指揮者たちが来日中止となることが多いなかで日本人の若手としての自分などにチャンスをいただける流れがあったのかなと思います。最近では7~8割がプロオケの仕事になってきました。
アマオケとの時間は曲を見つめなおす機会
Q. プロとの仕事が多くなったなか、プロ指揮者として我々のようなアマチュアと音楽作りに取り組むことの価値はどのようにお考えですか?
(和田) プロオケとの仕事では、リハーサルは多くても2回、オケで演奏機会の多い名曲では1回だけのリハーサルで本番に臨むことになりますので、短い時間に自分の表現したい方向性を楽員に伝えていかなければいけません。一方楽員側も能力が高いですから、わざわざ口で説明したり、何度も反復練習をしなくても、だだ意図を込めて振るだけで反応してくれる、ということもあります。
一方、アマチュアのオーケストラは演奏会に向けて数か月、2けた以上の回数の練習を経て演奏を作り上げる作業になります。団員の皆さんと演奏をよくするためにのコミュニケーションをとっていくなかで、指揮者の自分としても、その曲がどのように表現されるべきなのか、価値の根幹はどこにあるのか、ということを時間をかけて考え直していく機会となります。
そういう意味で、アマオケとの仕事は自分の向上のためにも大切なことだ、と思っています。
鎌響団員の多様さが幅広い表現を生む
Q. 3年ぶりに振られてみて、鎌倉交響楽団の印象はいかがですか?
(和田) 3年前は、感染防止のため、リハーサルでもホールのステージを使い、しかも反響版を使わなかったため、サウンドをつかんでまとめていくのが大変だったのですが、プロオケでもそのような状況で今までと異なる音作りに苦心していたころでしたから、特に抵抗感はなく、やれることをやっていこう、という感じでした。
ようやくかつての日常が戻り、今回改めて、反響版のあるステージや、使い慣れたリハーサル室での鎌響の音を聴いて、やはり実力のあるオーケストラなのだな、と実感しました。
Q. 皆さん鎌響へのお褒めをいただけることは多いのですが、実際は人数が多いだけに過ぎないのでは、自嘲することもありますよ。
鎌響のアマオケのなかでの特徴としては、老若男女幅広い年代、職業、バックグラウンドをもつ奏者が多いことかと思います。必ずしも技術、能力が高い奏者が集まっているわけではないのですが、そこはどうお考えですか?
(和田)在京で大曲、難曲に挑戦している高レベルなアマオケでは、特定の大学オケのある時期の卒業生、など、かなり年代や属性が偏っていることが多く、そのせいで一定以上のパフォーマンスを発揮できる、という長所はあります。
一方、鎌響の場合は、そのような偏りがほとんどなく、さまざまな価値観や感性を持った奏者たちがお互いのキャラクターを活かしあって合奏している、という雰囲気が感じられ、それによって幅の広さ、底の深い表現が生まれてくるような気がします。
そういう多様性や受容性の高さが伝統ある市民オケの代表としての鎌響の価値だと思いますね。
西洋楽器のメソッドで日本の魂を表現
Q. さて、次回122回定期では、鎌響ではたいへん久しぶりに邦人作曲家を取り上げます。(1995年芥川也寸志の交響管弦楽の音楽以来28年振り)
日本人が邦人作品に取り組むことの意義について先生のお考えをお聞かせください。
(和田) 日本人の作品を、日本人の血が流れている我々が演奏するので、海外のかたからは(日本人ならでは)と思われるのだとは思うのですが、リハーサルをしているとヴァイオリンや木管楽器など、本来西洋のクラシック音楽を奏でる楽器で、日本人の魂のようなメロディを奏でているシチュエーションが、ある意味違和感のような新鮮なショックとして感じられます。
ヨーロッパとは真反対の文化圏である日本で、オーケストラという西洋の演奏メソッドを通して日本音楽を表現することができている、という様子を目の前にすると、日本人の文化度の高さがヨーロッパの人たちに劣らない、むしろ勝っているのでは、という自尊心を感じることができます。
若きメンデルスゾーンの挑戦曲「宗教改革」
Q. 中プロのメンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」は、3番「スコットランド」や4番「イタリア」に比べてややマイナーで演奏機会も少ないですが、この曲ならではの魅力はなんでしょうか?
(和田)この曲は番号では5番となっていますが、実は作曲、初演されたのは3番より前で、若いメンデルスゾーンとしては作曲家として売り出し中の頃の作品です。
「スコッチ」「イタリア」が傑作、名曲であることは疑いもない事実なのですが、まだそこに到達していないメンデルスゾーンが、プロテスタントを取り上げた、という題材にしても、コラール「神はわがやぐら」をそのまま取り入れた作曲構成にしても、実験的、挑戦的な試みが随所に感じられ、新鮮な感動を得られる曲だと思いますね。
時にブラームスを凌駕する表情を見せる「ドボ6」
Q. メインに取り上げる、ドヴォルザークの交響曲第6番ですが、こちらも第9番「新世界」を始めとした後期交響曲よりは知名度では一歩劣っていますが、どんなところを楽しんで聴くとよいでしょうか?
(和田) ドヴォルザークの場合も、「新世界」や、第8番「イギリス」は間違いなく傑作ですね。だからこそ圧倒的な回数で現在も演奏され続けているわけです。
6番は、ドヴォルザークが尊敬し、目標としていたブラームスの交響曲第2番との共通性が各所に指摘されています。ドヴォルザークは実際にブラームスを師として目標にしていたわけですから、共通性が多いことをむしろ納得して楽しんで聴いていただけます。
一方、聴いているみなさんも、メロディメーカーとしてのドヴォルザークの才能はブラームスより上、と評価することになると思います。随所に登場する魅力あるメロディや、ノスタルジックな郷土色にあふれるサウンドの変遷はブラームスにない魅力ですね。
隠れた宝石を発見するコンサートに
Q. 最後に、今回の演奏会にご来場を予定の聴衆のみなさまへ、今回の演奏会の楽しみ方、聴き所など、おすすめメッセージをお願いします。
(和田)鎌響のファンの方は、毎回足をお運びいただくリピータのかたが多いと伺っています。鎌響では誰もが知る名曲をお届けするコンサートもいままで多くお届けしていますが、何度もご来場いただくうちに、今回のように、「今まで聴いたことのない」名曲もお聴きいただく機会をご提供していますね。
皆様の鎌響が、聴きに来てくださるあなたに、キラリと光る名曲を新たに発見するお手伝いをできると思います。 どうぞお楽しみにご来場ください。
(インタビュー実施:2023年10月9日)